古代エジプトの神々へと導く
大空隼人と一緒に
波動調整の旅を体験しませんか?
クフ王の大ピラミッド
スフィンクス
2大遺跡をたっぷり貸し切り
素晴らしいネフェルタリの墓も特別入場!
なかなか行けない!テルエルアマルナも訪問予定
エジプトリトリートツアー カイロ・ルクソール・アスワン・アブシンベルへの旅
暑すぎないエジプトのベストシーズンに、ゆったりとエジプトを巡る聖地巡礼ツアーを開催します。シークレットな場所でのスピリチュアルなリトリートツアーです。
現地集合、現地解散のエジプトリトリートです。スピリチュアルなエジプトの聖地でのワークショップ。一般の観光地だけをまわるエジプトツアーとは異なり、あまり公開されていない秘密のパワースポットへ、スペシャリストが、みなさんをお連れします。
カイロでは、ギザの三大ピラミッド、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド、王妃たちのピラミッドを旅します。
サッカラ、ダハシュールでは、階段ピラミッド、ピラミッドテキストのあるウナス王のピラミッド、マスタバ古墳群、赤のピラミッド、黒のピラミッド、屈折ピラミッドを訪れます。
アスワンでは、イシス神を祀ったイシス神殿(フィラエ島)、古代に宇宙存在をにおわせるシークレットな神殿(2022年は未定)、かなり古く刻まれた画を鑑賞します。
アブシンベルでは、ラムセス2世の大神殿、ネフェルタリの小神殿を訪れます。
騒がしいカイロと違い、ゆったりとした雰囲気がただようルクソールに向かう道のりでは、優雅なクルーズ船にて、コム・オンボ神殿、陸路ではなかなか行くことが難しいハヤブサの神、ホルス神・セト神を祀ったエドフ神殿を巡ります。 またカルナック神殿ではシークレットな部屋を多数訪れます。ライトアップされたルクソール神殿、ハトシェプスト葬祭殿、メムノンの巨石、王家の谷を巡ります。女王の谷では、特別入場にてネフェルタリの墓を参拝します。 またフラワー・オブ・ライフで有名なアビドス神殿、愛と豊穣の女神、ハトホルが祀られているデンデラ神殿も時間が許す限り、堪能していきます。ナイル川の東西にひろがる素晴らしい古の街テーベをたっぷりと楽しみましょう。
旅の締めくくりのカイロでは、エジプト政府の特別許可を得て、ギザのスフィンクスの貸し切り、クフ王の大ピラミッドを私たちのためだけに、特別貸し切り致します。 そしてかつての王宮であったマリオット・メナ・ハウスにて最上級のくつろぎを体験していただきます。
ゴールデン・エジプトリトリートツアー
特別なエネルギーのスポットでゆったりと古代エジプト文明の叡智を感じ、時空を超えた宇宙エネルギーをエジプトツアーで体験しませんか?
一人旅や通常のツアー、観光旅行では体験できないエジプトを満喫できるでしょう。 きっと一緒に集う仲間とも楽しい時間を過ごす旅になると思います。
あなたの光り輝くエネルギーを
エジプトで思い出してみませんか?
エジプトを訪れる人は誰もが、過去世でエジプトに暮らしてきたといわれています。パワフルなエジプト時代、本当の自分とつながり、あなたの人生に奇跡をおこす旅へ、わたしたちと一緒に出かけましょう!
シリウスのエネルギー・レムリア・アトランティスの古代の叡智にあふれたエジプトで、わたしたちと一緒に、人生を変えるリトリートツアーに出かけましょう!
想像を超える古代の叡智と遺産、美しいカリグラフィーを観ながら、楽しい仲間と語り合ったり、エジプト時代のあなたをゆっくりと静かに感じてみましょう。
きっと本当のあなたとつながる旅、偉大な自分自身に戻っていくリトリートになることでしょう。古代エジプトの叡智へふれる旅になるでしょう。
エジプト各地の遺跡、一般的な観光地ツアーでは訪れないシークレットな聖地を訪れて、瞑想ワークやゆったりとした時間をとっていきます。またこれまで気軽に一般のツアーではなかなか訪れることができないネフェルタリの墓も訪問いたします。
特にグレートピラミッドと呼ばれる第一ピラミッド、この巨大なクフ王のピラミッドは、一般のツアーや観光では、とても短い時間しか王の間の石棺の部屋に滞在できません。係員が厳しい場合には、ここで目をつぶることも厳しく注意されます。
また通常では一般公開されていない女王の間にも、このエジプトツアーでは特別に入場を予定しています。
このリトリートでは、ピラミッド内部の巨大な石室、王の間と女王の間を特別に貸し切り、またエメラルドタブレットに記載されている謎の多いエリアのひとつ、スフィンクスも特別貸し切り、入場が許されていないスフィンクスの足元部分にも特別許可で入ります。
スフィンクス周辺は非常に警備が厳しく、近くで瞑想をすると警備員に非常に強く怒られるような場所です。このエジプトツアーでないと体験できない貴重な時間となるでしょう。
ここには記載することのできないような神秘体験を、ぜひ体験していただきたいと思います。
また他にも盛だくさんに聖地を訪れます。マジカルなイシス神殿、フラワーオブライフで有名なアビドスの神殿、愛の象徴ハトホル神殿、ラムセス2世のアブシンベル神殿、神官のころを思い出すようなカルナック神殿の秘密のお部屋も多数訪れます。
ゴールデンエジプトツアー2022
2022年のスピリチュアルなエジプトリトリートツアー
わたしの人生を大きく変え、パワフルなエネルギーをもたらしてくれた、広大なエジプトと遺跡、そして数々の個性的なピラミッド郡、ツアーですべてをお見せするには1か月以上欲しいくらいです。 ほんとうに素晴らしい遺跡が広範囲にわたって、ひろがっています。 古代エジプトの人々の魂の声をきく、そして超古代文明の叡智と宇宙の偉大さを感じるスピリチュアルな旅になることでしょう。
大空隼人と行くゴールデンエジプトツアー
現地の聖地、スピリチュアルワークにも精通したエジプト旅行会社によるサポートで、安心のリトリートツアー。
エジプトツアーの特別な5つのポイント
世界の7不思議であるクフ王の大ピラミッドをたっぷり貸し切り
クフ王の大ピラミッド内の、王の玄室では一般の入場の場合、長い時間、王の間に滞在できません。通常はゆっくりと中で瞑想することも不可能です。今回はたっぷりと古代のイニシエーションの波動とエネルギーを体験できます。
スフィンクスをたっぷり貸切り
通常は入ることを許されない、そして近くで目をつぶることも許されないスフィンクス。その特別なスフィンクスの足元エリアでのミステリアスな体験をお楽しみください。
女王の谷 ネフェルタリの墓へ特別入場
これまで長く公開されていなかった、ラムセス2世の最愛の妻の壁画、その美しいさに息をのむ空間です。気軽に一般のツアーでは入場できない特別な時間です。
アスワンからルクソールへ 優雅なクルーズ船での船旅
カイロ・ルクソールは、豪華5つ星ホテルに宿泊
カイロでは王宮であったメナハウスでの豪華な2連泊での宿泊
エジプトツアー開催日時
現地時間 2022年10月30日 日曜日 集合 11月9日エジプト出国予定 前入りの方は30日にオプショナルツアーを選択可能
現地10泊11日 流行り病での急な渡航中止や参加できなくなった時の安心サポートありますので、お気軽にお問合せください。
エジプトツアー2022 10泊コース 概要
※現地集合、現地解散の個人旅行の集合です。
詳細なエジプトリトリートのスケジュールはお問い合わせください。 リトリート詳細の特設サイトをご案内いたします。
【日時】
2022年10月30日 日曜日 ~ 11月9日 火曜日 10泊11日 帰国日 11月10日 月曜日
(東京・関西のモデル便は10月29日の羽田・成田発)
【集合】
2022年10月30日 日曜日 ○○:○○ カイロ国際空港 第●ターミナル ○○前、あるいは、宿泊ホテルへ集合
【解散】
2022年11月9日 火曜日 ○○:○○頃 カイロ国際空港 ※現在のところ16:00-17:00前後くらいの空港解散の予定です。
※モデル便や乗り継ぎのご案内もさせていただきますので、ご安心ください。
【宿泊】
エジプト各地の5つ星ホテル クルーズ船
Cairo Hotel:ル メリディアン ピラミッズ ホテル & スパ Le Meridien Pyramids Hotel & Spa
Nile Cruise:Ms. Nile Style
Luxor Hotel:マリティム ジョリー ヴィル リゾート & カジノ Maritim Jolie Ville Resort & Casino
Cairo Hotel:ハイアット リージェンシー カイロ ウエスト Hyatt Regency Cairo West
Cairo Hotel:マリオット メナ ハウス カイロ Marriott Mena House, Cairo
【リトリート費用】
各コースの詳細は、お問い合わせください。
※お得な早割のプランなど、早期お申し込みの特典ございます。
【お申し込み締切日】
2022年8月末日 リトリート代金のご入金まで 1月末日締め切りの大幅割引 超早割 受付終了 4月末日締め切りの割引 早割
日本からエジプトへの渡航費用
カタール航空が飛んでいた時には、日本からカイロ、ルクソールなどへは7万円ほどの運賃で渡航できておりましたが、エジプト路線をカタール航空が撤退してからは、相場的に5万円ほどは値上がりしているように思えます。
エジプトエアーの直行便は便利ですが、やや価格が高いように思われます。
航空券代 : 約10‐20万円 (運賃は便や時期により変わります)
日本からエジプトまでのフライト時間 エジプトまでの航空会社
エジプト航空
エジプトエアーなどの直行便ですと、成田からカイロまでの飛行時間は、約14時間 カイロから成田への飛行時間は、約12時間です。
直行便のエジプトエアーなどは、乗り継ぎ便に比べ若干運賃が高いと思われますが、乗り継ぎが不安な方にはオススメです。
以前は毎日運航でしたが、現在は週2-3便の運航であると思います。
機内でのアルコール類の提供はないかもしれません。
ルクソールやアスワン、アブシンベルへのエジプト国内線も飛んでいます。
エミレーツ航空
ドバイまで約12時間 ドバイからカイロまで約4時間30分
アルコール提供ありで、エジプトへの便も多くて便利。ドバイのラウンジは豪華で広々しています。
乗り換え時間が短い場合には注意してください。空港内がかなり広く、バス移動の場合もあります。乗り換え時間が2時間弱のフライトのケースで、何度かロストラゲッジをエジプトで確認しています。(現地の係員の対応がかなり悪かったので、大変困る事態になりました)
エディハド航空
アブダビまで約13時間、ドーハからカイロまでは約4時間
比較的よい評判ををよく目にします。 サービスも良いようです。
トルコ航空
トルコのイスタンブールまで約13時間 カイロまで2時間30分ほど
アリタリア航空
日本からローマまでは約12時間、カイロ-ローマ間は約3時間半
※詳しくはエアラインのサイトをご覧ください。
ルフトハンザ ドイツ航空
【復路1回乗換】カイロから成田/羽田までの経由便の経由地と所要時間
- ルフトハンザ ドイツ航空:ミュンヘン経由(16時間45分)、フランクフルト経由(19時間25分)
【往路1回乗換】成田/羽田からカイロまでの経由便の経由地と所要時間
- ルフトハンザ ドイツ航空:フランクフルト経由(19時間20分)、ミュンヘン経由(18時間35分)
【復路1回以上乗換】カイロから成田/羽田までの経由便の経由地と所要時間
- ルフトハンザ ドイツ航空:カイロ→ミュンヘン→フランクフルト→成田/羽田(19時間55分)、カイロ→フランクフルト→ミュンヘン→成田/羽田(26時間)、カイロ→ミュンヘン→デュッセルドルフ→成田/羽田(22時間20分)
【往路1回以上乗換】成田/羽田からカイロまでの経由便の経由地と所要時間
- ルフトハンザ ドイツ航空:成田/羽田→ミュンヘン→フランクフルト→カイロ(20時間55分)、成田/羽田→フランクフルト→ミュンヘン→カイロ(20時間)、成田/羽田→大阪(関西/関空)→ミュンヘン→カイロ(24時間20分)、成田/羽田→デュッセルドルフ→ミュンヘン→カイロ(20時間25分)
※格安航空券フライトショップさんHPより引用
エジプトリトリートツアーのモデル便
エジプトリトリートツアーのモデル便につきましては、別サイトにて東京・関西発のモデル便をご案内させていただいております。
エジプトリトリートは現地集合、現地解散の個人旅行の集合です。モデル便以外でも、空港・またはホテルへ現地集合時間までにお越しいただければ大丈夫です。
※ナビゲーターはモデル便に同乗しません。
日本からエジプト国内の空港までの往復航空券お求め先
お近くの旅行代理店かインターネットでの予約でお求めください。
※ 購入の方法などご不安なかたは、どうぞご遠慮なくお気軽にご相談ください。
エジプトツアースケジュール
リトリートの詳細スケジュールなどは、特設サイトをご準備しております。
エジプトの日程ですが、思わぬような遺跡の修復工事や発掘工事、現地の遺跡ポリスの指導、ゲートキーパー、現地ガイドの判断により、予定している遺跡や建造物などに、稀に入場ができない場合などがございます。ご了承よろしくお願い致します。
当日現地に出向かなければわからないような状況もございますので、スケジュール通りの訪問が厳しい場合もございますが、最幸最善の場所をご案内いたしますので、どうぞ楽しみにしていてください。
天候・交通事情・皆様のエネルギーの状態などで、流動的に変更する可能性がありますので、ご了承ください。現地を下調べしながら大きく変更することもあります。
海外旅行傷害保険
エジプトリトリートにご参加の皆様には、海外旅行傷害保険のご加入をお願いしております。個人旅行の集合となりますので、一般の旅行ツアーと異なりますことをご了承くださいませ。カード付帯の保険を含め、十分な補償額か確認いただき、傷害保険に必ずご加入くださいませ。
現地旅行会社での保証はないもとのして、お考え下さいませ。
エジプトの素晴らしい遺跡・パワースポット
カイロ周辺の遺跡・パワースポット
エジプトリトリートツアーをYOUTUBEで体験
大エジプト博物館
2020年開館に向けて建設や保存修復プロジェクトが進行しています。 オープン後、訪問見学予定です。オープンされていない場合には、従来のエジプト考古学博物館を予定致します。
大エジプト博物館のオープンにむけて、日本からもたくさんの支援がエジプトに届けられています。
エジプト考古学博物館
エジプトの博物館の目の前にある広場がタハーリル広場(2011年のエジプト革命ではここがデモの中心部)で、カイロ中心部のダウンタウン(ナイル川東岸)に位置しています。
エジプトの多くの歴史を感じることができる場所です。とても一度にすべてを見ることができないほどの収蔵品の数々です。 収蔵品は約10万点といわれています。
ひとつひとつの展示物が、その物語を語り、そのライフスタイルを示しています。これらを作ったアーチストたちは、その描写しようとしている人々を、正確に写し出そうとしています。
もちろん素晴らしく美しい作品ばかりです。そしてその作品の奥底にある本質にも思いを巡らせることができる場所でしょう。そうするとあなた自身とのつながりを感じるかもしれません。ときになにかを見た時に、自分の中の知らない部分が刺激されるような感覚を持つかもしれません。その作品に盛り込まれている知恵やエネルギーを感じてみるとよいでしょう。あなたは導かれたものしか、目にすることはないでしょう。
この博物館でもっとも注目され、重要視されているのはツタンカーメンの秘宝です。またイクナートン(ツタンカーメンの父)の大きな像も見どころです。またミイラが苦手なかたもいらっしゃるかもしれませんが、ふたつのミイラ室を別料金(100エジプトポンド)で見学することができます。ここにはラムセス2世やその父であるセティ1世、ハトシェプスト女王、ラムセス3世、他多数のファラオが安置されています。ミイラにはエネルギーが残っていると言われます。ぜひ興味のある方は、ファラオのエネルギーなどを感じてみてください。
ツタンカーメンの墓からは、4つのベッドがお墓の中で見つかっています。ツタンカーメン王の靴(パピルスでできたもの)、傘(リネンで覆われている)麻でできている。3300年ほど前のものです。王が使っていたベルト、ライオン、カバなど四方を守る意味で作られている収蔵物など展示されている。
※エジプト博物館は、非常に多くのエネルギーが混在していますので、エンパスのかたは少し強く感じすぎてしまうかもしれません。
※エジプト人はこの遺産をとても誇りに思っています。触ってはいけないもの、写真を撮ってはいけないものなど、マナー違反を行うと、旅行代理店までが注意を受けますので、ご注意ください。
※以前は博物館へのカメラの持ち込みはできなかったか、撮影は禁止されていましたが、最近では別料金で可能になったような話もあります。
ギザの三大ピラミッド
クフ王のピラミッド ギザの大ピラミッド グレートピラミッド(第一ピラミッド)Great Pyramid of Giza
このピラミッドが世界の7不思議のひとつである、世界でもっとも大きなピラミッドです。クフ王のピラミッドです。
ギザの3大ピラミッドのエリアは街より高台にあります。ナイル川の洪水の影響をうけないように、この地を選んでいます。ここはとても地盤が厚く6,500万トンあるピラミッドを、支えられるほど強固な土地です。
このクフ王のピラミッドは、約32,000個のブロックでできています。上のほうの石はひとつが2トン、下のほうの石はひとつが20トンほどあります。平均すると7トンから10トンほどの石で構成されています。
私たちが現在入場できる入口は、昔、墓泥棒があけた入口です。本来の入り口はさらに上のほうにあります。
もともとこのピラミッドは146メートルありました。今は137メートルしかありません。8-9メートルほどの上部のキャップストーン分が無くなってしまったからです。カフラー王の第二ピラミッドには、白い尖った三角形のキャップストーンがあるのが見えます。このキャップストーンの行方は、とてもミステリアスです。それだけスゴいパワーを秘めているのかもしれません。
月から見える、唯一認識できる建物がこのピラミッドだそうです。
ピラミッドは昔、宝石のように白く光り輝く石灰岩で全体を覆われていました。ヘロドトスは32年かけて、ファラオがこのグレートピラミッドを完成させたと言っています。ピラミッドの建築には、1日20,000人の労働者を使っていたとされています。
しかし実際には、どのようにしてこの巨大なピラミッドが建てられたのか?何年かかったのか?何人の人が携わったのか?は、本当のことは誰にも解っていません。
この大ピラミッドも墳墓とされていますが、実際にファラオの何か宝物や品物が一切見つかっていません。壁画としても王の存在や王についての記述、ヒエログリフも残っていません。
ここは特に謎が多いところで、特に王の玄室は、年間を通して室温が常に20度に保たれています。この王の玄室で見つかっている石棺というのは、もっとも硬い花崗岩でできています。その花崗岩をどのようにしてそのようなカタチにすることができたのかも解っていません。それだけ堅い花崗岩を加工するには、大きなダイヤモンドの石切り装置が必要で、それだけの設備は当時はなかったそうです。
このピラミッドには11種類のエーテル体が重なっているといわれています。そしてピラミッドを建てた人ともつながれる場所です。なんでこのようなカタチにしたのだろう?ピラミッドの秘密に想いをはせながら、心の目でピラミッドをみていくと、たんなる石の構造物を超えたスピリットとしてのピラミッド、意識体としてのピラミッドが見えてくるかもしれません。ひょっとすると自分の中のピラミッドを意識するかもしれませんね。この素晴らしい聖地でアナタを大きく変化されるなにかにつながるでしょう。
※ピラミッドの断面図
これが王の間、王の玄室、女王の間(王妃の間)とよばれるピラミッドの断面図です。女王の間は正確には、間違った表現で、王のスピリットの間というのが正解です。19メートルした、一番下には???が置かれていた部屋です。
このように2つのシャフトと呼ばれる通気孔がでています。そこが外にむかって、のびている穴になっています。後から分かったのが、王の玄室からこのシャフトの延長線上に星があることが分かりました。王の間はオリオン、王妃の間をつなげているのがシリウス星の方向と言われています。アルファーという星です。
なぜ惑星とピラミッドをつなげたのか?ということも解っていなくて、大きなミステリーといわれています。このように惑星とつながっているピラミッドは、前にも後にもこの大ピラミッドしかありません。
クフ王の奥さんであったり、お母さん、娘のピラミッドが、王妃のピラミッドと言われています。壁のしっくいなどのどの材料を使われていたのかも解っていません。
建てられた時期から1994年まで14回ほどの地震がありましたが、崩れることはありませんでした。下の石が大きく20トンほどの石を基盤にしています。本来の入り口付近ですが、墓泥棒も入ることができませんでした。花崗岩という非常に硬い岩が使われていて、切り開けることができないほど硬かったそうです。
王の玄室の天井は75トンもの重さのある花崗岩でつくられています。4500年前にアスワンという700キロメートル以上離れたところから、75トンもの石をどのように運んだかも解っていません。おそらく宇宙人の仕業でしょう!?
クフ王の間 玄室 石棺
古王国時代から残っている神殿としては、これが最古の神殿です。その理由は花崗岩というとても硬くて強い石で作られていたからです。ひとうひとつアスワンから一枚岩として運ばれました。これがどのようにして運ばれたのかも解っていません。
※クフ王のピラミッド入場の際の注意点
ピラミッド入場の際には、荷物検査が求められています。危険物やカメラの持ち込みは認められていません。(2015年現在)入口の門番に預けるカタチになります。1日の入場できる人数に制限があるようですので、確認が必要です。
王の間の中にある花崗岩の棺の部屋にも門番が警備しています。人によって対応が異なりますが、チェンバー(部屋)内での瞑想、目をつぶることさえ厳しく注意する門番もいますので、ご注意ください。 ここも神秘的なエリアで長い時間滞在したいですが、通常の訪問では長居することは難しい場所です。
女王の間とその下の部屋は、通常は一般公開されていません。
※写真撮影不可の場所です。ここの写真がアップされると旅行代理店も厳しく追及されますのでご注意ください。
カフラー王のピラミッド 第二ピラミッド Khafre’s Pyramid
メンカウラー王のピラミッド 第三ピラミッド
王妃たちのピラミッド
王妃たちの3基小さなピラミッド
ナインピラミッドビュー
スフィンクス
スフィンクスは、ココにあった岩を削ったものです。これは岩山のように、とにかくすごく大きな岩で、ここを削ってピラミッドを建てるための石にしていたくらいです。
クフ王の息子であるカフラー王が、第二ピラミッドを作った後、ここで人間の頭と動物の胴体を彫ることを思いつきました。スフィンクスは知恵と知識とパワーの象徴です。スフィンクスは鼻がとれてしまっています。フランス人が壊してしまいしました。 鼻がとれた後に王冠もとれてしまいました。
両前足の間にカフラー王の大きな像があったんですが、これもなくなってしましました。 そして王を象徴するヘビとヒゲもあったんですが、それも消失しています。現在ある周りにある石、キレイなところは修復された新しい部分です。ナイル川の氾濫でこのスフィンクスのあたりまで水がきて、侵食されたからです。スフィンクスに捧げられた神殿もありました。
ドイツの考古学者たちが、このスフィンクスの土を持ち帰り、年代測定をしたところ15,000年以上前のものだという結果も出たそうです。これに対しエジプト政府は、イスラム教の教えの6000年前が起源とされることから、強く抗議をしたといわれているそうです。
地球の宇宙はその理念に沿って動いています。リズムが加速して変化していく中、この場所では宇宙のリズムが整うような感じです。宇宙のリズムと同調するということは人生の目的を生きることだと感じています。あなたのバランスがとりやすい場所かもしれません。
私はスフィンクスでゆったりとした時間をとった後、有名なチャネラーさんから、「いろいろなビジネスをはじめるでしょう!」「エジプトに人を連れてくるようになるでしょう!」「イベントオーガナイザーにもなるでしょう!」「どうやって人は行動を変えるのか?平和になれるのか?を教えていく先生に、ゆっくりとなっていきます。勇気をもって踏み出せば、サポートを受けます。」と予言されました。ついにそれが実現することとなりました。
また「あなたはイギリスともご縁が深いでしょう。何度もこれからイギリスに行くでしょう」「是非パワースポットに人を連れていくことを考えてみてください!」と今につながるコメントをいただきました。このスフィンクスでの時間のあとの出来事だったと思い出しました。
※スフィンクスの近くで瞑想すると警備員から厳しく叱られますので、目を開けたまま瞑想してください。イスラエルの聖地、岩のドーム近くでも瞑想したりすると、とてもひどく怒られます。きっとなにかと特別な秘密が隠されているのでしょうね。
スフィンクス前のゲート
この下の部分はアラバスタで、テルエルアマルナからきています。上は石灰岩でできていて、風や水の浸食で影響を受けています。穴が開いている部分には、24のカフラー王の石像が置かれていました、この24は24時間を象徴しています。一時間ごとに神官が、ひとつひとつの像に捧げものをしていました。これらの像のひとつはエジプト博物館にありますが、それ以外は国外に持ち出されてしまいました。
秘密の部屋がみつかっています。奥の方にある部屋です。ここにミイラ化のプロセスがパピルスに書かれて、その巻物が保管されていました。身体を塩漬けにした後に塗る香油などが入っていた壺もこの中にありました。特に蓮のオイルは、古代エジプトでは神秘的な香油とされていました。そしてミイラ化が終わったあと身体にコットンを巻いていました。秘密の部屋はミイラ化のための道具、香油であったり、そのプロセスを書いているパピルスであったり、リネンが置かれていました。ミイラ化というのはとても高価な作業だったので、王や王族のみが行えました。ミイラ化した後に、この場所からピラミッドへ運んでいきました。
サッカラ
階段ピラミッド ジェセル王のピラミッド Pyramid of Djoser
ピラミッドの下は、埋葬室になっています。中はからっぽだったそうで、なにもない状態でした。18世紀にスペイン人がきて、全部宝を持ち去りました。スペイン人は帰る途中のスペイン沖で、その大きな船は海に沈んでしまったそうです。
王のミイラの足の部分と子供のミイラがみつかっています。おそらく王の子供であろうと言われています。
階段ピラミッドの入り口付近
王は壁で取り囲みました。そこには14の扉がみつかっていますが、そのうち13はニセモノです。盗掘を防ぐために作られています。本当の扉は南東に位置しています。
一番したからダンダンと積み増してピラミッドはつくられました。三年後には3段目がつくられました。ファラオは死後、この階段をひとつづつ登って天に上がっていくと思っていました。日の出とともに階段を太陽が上がっていき、日の入りに向けて階段を降りてくると考えていました。なぜ階段なのかというと、南北に2つの入り口があります。どちらの入り口から入っても、王の埋葬室に行くことができます。ここはお祈りする場所、儀式をする場所でありました。
ココは、ハプセトという重要な儀式が行われていた場所です。これは王が牛を追いかけます。次の王位の期間に向けて、自分が強くて支配できるということを、牛を追うことで証明できたわけです。30年に一度行われる儀式で牛を殺すことができれば、次の30年間もその人が王になれるということでした。もしココで牛を殺したら、隣の神殿に行って、戴冠をしました。そこには地下には深く掘られたお墓がありました。そこには少し宝が残っていました。ミイラを作ったときの王の内臓を保管するツボも残っていました。 南の墓は盗掘されずに残っていました。
ジェセル王のためにイムホテップが階段ピラミッドを建築しました。建築家だったイムホテップは、医者でもあり建築家でもあり、宰相でもありました。ギリシャ時代には、医薬品、治療、建築の神さまとして敬われました。
ウナス王のピラミッド
階段ピラミッドの南には、ウナス王のピラミッドがあります。砂で建てたピラミッドであったため、風などで風化して、崩れかかったがれきの丘のようなカタチです。ウナス王の時代、飢饉が6年間も続いたため、食べ物も水もない状態でした。それで建築もキチンとしたものが建てられませんでした。内部の壁面にピラミッド・テキストが刻まれています。
ジェセル王の時代の貴族やお金持ちたちは、このあたりにお墓をつくっています。このあたりは4700年前につくられたと言われています。
この辺りはとてもスピリチュアルな場所です。以前は、このピラミッドの中には入れなかったんですが、今は入ることが出来きるタイミングがあるそうです。
ピラミッドテキスト
ダハシュール
屈折ピラミッド
屈折ピラミッド、赤のピラミッドという古いピラミッドがあります。その二つのピラミッドは、エジプトでは2番目、3番目に古いピラミッドです。
この2つのピラミッドは同じ王が建設しています。屈折ピラミッドは建設に失敗したため、今度はしっかりと完成されたピラミッド建てました。最初の彼のミスは、このピラミッドは最初53度の角度でつくられましたが、53度だとピラミッドが高すぎて、倒れてしまうおそれがあることがわかり、途中から傾斜角度をゆるくしました。それで「崩れたピラミッド」「屈折ピラミッド」と呼ばれるようになりました。
このピラミッドもあまり盗掘されずに見つかりました。宝がたくさん見つかっています。王妃の遺体や秘宝も見つかっています。入口を建物自体に作らずに、砂漠の中の地下を通すカタチで入口がつくられていました。砂漠の中の入り口を探すのが大変でしたから、盗掘者も探すことは難しかったのでしょう。
赤のピラミッド
屈折ピラミッドの失敗を経て、もっと完璧なピラミッドを建てたいということでつくったのが、赤のピラミッドです。このピラミッドには赤の石灰岩が使われています。エジプトでしっかりと完成された初期のピラミッドです。これは古王国時代、4800年ほど前に作られたものです。このピラミッドを作ったのは、ギザのグレートピラミッドを作ったクフ王のお父さん、スネフェル王です。
赤のピラミッドの高さは、約100メートルです。中央に入口があり、そこから地下へと続く長くて狭い階段があり、下の階には埋葬室があります。この赤のピラミッドは盗掘されていました。発見された時には、中は空っぽで、通路にも王の玄室にも何もありませんでした。そして壁画も消されていました。
砂に覆われているピラミッドもこのあたりにあります。建設中のまま完成されていないピラミッドもあります。完成前に王が亡くなってしまったピラミッドです。スネフェル王の後に同じようなピラミッドを作ろうとして、失敗してしまったそうです。
赤のピラミッド近くからも見えるメイドゥームには、たくさんのピラミッドがありますが、大きなものがなく、規模の小さなピラミッドがあります。
黒のピラミッド
ダハシュールの石には、自然に真実を求めるエネルギーがあるとされています。真実を知る、好奇心を活性化することを意図してみましょう。 ダハシュールはイニシエーションの場所であったと言われていますが、他のものとは別の目的をもっていました。イニシエーションを受ける人たちは、ダハシュールの施設の中に入って、一晩過ごしてビジョンをみるということをしてきました。 別の次元の存在たちが集まってきた場所でもあるそうです。
古い魂が古い土地に集まると言われます。 さまざまな存在から恩恵、エネルギーをダハシュールで受け取りましょう。 より高い真実を受け取るという探求心を意図してみましょう。
サラディンの要塞
サラディンは11世紀にシリアから来た人です。この時にシリアとエジプトを統治しました。とても知恵の深い人で、十字軍からシリアとエジプトを守ろうとしました。各所ににいろいろな要塞をつくり、十字軍から守ろうとしました。 その時もカイロを十字軍から守ろうと、あたり一帯に要塞を築きました。
彼はとても賢い人だったので、どこに要塞を作るべきか?街の重要な場所を選んで要塞を建設しました。街のいたるところに生のお肉を置いて、それが腐さるのを観察して、一番腐りにくいところに要塞を築いたと言われています。ほとんどの場所は一日か二日で腐ってしましましたが、ここだけは2日、3晩と食べることが出来たそうです。
要塞を建てるということは、攻められたときに、そこに閉じこもって兵隊がそこにある水や食料を使うわけですから、このように食材のもちがよいことは非常に重要でした。サラディンの時には小さかった要塞を、彼の兄弟や孫が要塞をもっと大きくしていきました。
15世紀からエジプトはオスマン帝国の一部になっていますが、1800年にムハマドアリというオスマン帝国の王様がこの地にやってきます。
ムハマドアリのアラバスタモスクと王宮
アラバスタモスクでは、手足、顔を洗うところがあり、エジプトで最初の時計がある。 1800年フランスからムハマドアリにおくられた時計でした。しかしこれが全く動かなかったという話です。
ミナレットと言われる18メートルほどの高さの塔です。ミナレットというのは、イスラムの教えで、一日5回お祈りをして、献立?をするための塔です。ミナレット(Minaret)は、モスクやマドラサなどのイスラム教の宗教施設に付随する塔
装飾の面から見てもカイロの中で最も美しいモスクです。この様式ですが一番中央にドームがあって、そのまわりをさらに5つのドームが囲っています。ここでは音響効果があるため、ここでしゃべると全体に響いて聞こえる仕組みになっています。 演説台でしゃべった言葉が全体に聞こえるようになっています。
ムハマドアリのお墓です。上の階は王族、王族の女性たちにささげられた部屋です。イスラム教徒にとって毎日5回祈りをささげることは、とても大事なことです。神がどこにでもいるということを思い出すために、毎日祈ることが義務付けられています。
アブシール(Abusir) アブグラブ神殿(Abu Ghurab)
Abusir the House or Temple of Osiris
アブシールは、ギザの南数キロに位置し、古代エジプトの首都メンフィスの主要なエリート墓地の1つでした。アブグラブ神殿、 ファラオ ニウセルラーの太陽神殿、最大かつ最も保存状態の良い神殿です。ユカカフの太陽神殿は、紀元前25世紀に旧王国時代に建てられました。
アブグラブ(Abu Ghurab)神殿は、スターゲイト・ポータルではないかと考えられているエジプトでも観光客の少ない神殿です。
このアブグラブの神殿、ピラミッドは、第5王朝ニウセルラー王が創建したとされています。古代エジプトの太陽神ラーを祀る神殿、太陽神殿ともよばれているそうです。
地球と共振するためのエネルギーを保っているように感じます。神々や宇宙の高エネルギーと合一できるように、自分自身をアップグレードさせていく神殿でもあるようです。
スピリチュアルなワーク、サイキックなトレーニングにも適している場所ではないかと感じます。
アブグラブの遺跡には、ヒーリング用と思われる半円の人が入れるほど球体のボウルがあります。そしてアブグラブのピラミッドの正面には、クリスタルの祭壇もあります。アラバスタという石でできているそうです。
精密に切りだされた巨大な構造物、放置された重厚なクリスタル、アブグラブの遺跡、それは宇宙的な波動、情報、叡智をコード化して残されているような不思議な遺跡です。あまり荒らされたくないような神妙な雰囲気です。
アスワン地区
フィラエ島 (イシス神殿)Temples of Philae
カイロから約800㎞以上も南に、フィラエの神殿はあります。アスワンのダムの間のナイル川に浮かぶ小さな島です。
フィラエ島は神聖なる島、美しい島として「ナイルの真珠」とも呼ばれていたそうです。 ここはヌビア地方(スーダン)との国境、古代から交易の拠点として栄えたといわれています。
アスワン・ハイダムが建設された際に、アブシンベル神殿などと同じように、水の底に沈んでしまう危機が訪れましたが、このイシス神殿は、近くの島に移されました。それが現在のフィラエ島(島が削られカタチを変える前までは、アギルキア島とばれていた)です。
これまでは、エネルギーが戻ってきていないと言われる方もいらっしゃいましたが、近年そのエネルギーが復活しているように感じられます。
女神イシスとハトホルの神殿、トラヤヌス帝のキオスク(休憩所)があります。
アブシンベル神殿(大小両神殿) Abu Simbel Temples
ユネスコの世界遺産発起につながった、有名な世界遺産アブシンベル神殿は、エジプトで最大の勢力地図を広げたファラオ、ラムセス2世(ラメセス2世)によって、建設された神殿です。ヌビア人に対してエジプトの力を示した神殿といわれています。
大きな神殿、そして高さ20メートルを超える高さの4体の巨大なラムセスの像は、ラムセスの当時の威光を示しているようです。
そのラムセス2世の像ですが、左から年齢順に並んでいます。また太陽神ラー・ホルアクティに捧げた神殿でもあるため、そのラー・ホルアクティの像も正面に鎮座しています。
「至聖所」があり、ここには4体の神がまつられていて、右からラー・ホルアクティ、ラムセス2世、アメン神、プタハ神が祀られています。
毎年、2月22日と10月22日に神秘の朝陽が至聖所の中まで照らしだす、神秘的な様子は、テレビ「世界ふしぎ発見」でも紹介されていました。この4体のうち、プタハ神にだけは、その陽射しがあたらないような設計となっていることも趣深いです。プタハ神は闇を好む神ともされ、地下世界とのつながりをもつともいわれている所以でしょう。
ナイル川にアスワンハイダムの建設計画が持ち上がった時に、このアブシンベル神殿に代表される「ヌビア遺跡群」が、水没を免れるために、多くの国の協力によって遺跡はダム建設の影響を受けない高い場所に移されました。 この壮大なアブシンベル神殿をいくつものブロックに分けて運び、組みなおしたそうです。 スケールに圧倒されてしまいます。
大神殿のむかってすぐ右側には、ラムセス2世の最愛の王妃ネフェルタリのために建造された小神殿があります。
ファラオが妃のために神殿をつくることは非常に珍しいそうで、「美人の中の美人」「最高の美女」の意味をもつネフェルティ、90人以上妻がいたというラムセス2世の最愛の妻、ネフェルタリにふさわしい、内部もとても美しい神殿です。
ハトホル神は愛と喜びの女神、この小神殿はハトホルにささげた神殿でもあります。
エジプトのその他の遺跡・パワースポット
テル・エル・アマルナ
エル・アマルナ、アル・アマルナとも呼ばれています。
アマルナはルクソールから400キロメートルほど、カイロからは300キロ以上離れたところにあります。このあたりはナイルの水が入ってしまい、とても悪い状態で見つかっています。しかしアトン・ラーに捧げた美しい壁画は残っています。ルクソールはその当時のエジプトの首都でした。ツタンカーメンの父であるファラオ・アメンホテプ4世(別名:アクエンアテン)が新たな首都をアマルナに首都を移しました。のちにイクナートンに改名したアメンフォテッップ4世が、ここアマルナに首都を移してから、暗殺されました。その後、王宮なども全て破壊されています。現在はほとんどなにも残っていません。
アマルナで見つかったものは、お墓とふたつの破壊された王宮の遺跡です。南北に二つの王宮があります。そして真偽は定かではありませんが、ネフェルティティのお墓もアマルナにあるといわれています。
一番重要なことは、エジプトでの宗教を変えてしまったということです。アメン・ラーという、カルナックやルクソールにあるような神殿、多神教のエジプトの信仰をクローズして、このアマルナに首都を移したことです。イクナートンが信仰する唯一神であるアトン神を世界初の一神教としてラーに捧げた神殿をつくりました。イクナートンはここにアケトアテンという名の新たな首都をつくりました。アケトアテンとは「アテン神の地平線」「アテンの街」という意味でよばれていました。ヒエログリフにこの街の名前が示されていました。ナイル川の西岸に位置しています。これがイクナートンは首都を移し、宗教を変えた時に、最初に即位した時の名前アメンホテップ4世から、イクナートンへと名前を変えました。これがイクナートンが行った「アマルナ改革」といわれています。
何千もの神を信じていた、当時の神官たちに、イクナートンは殺されたということが十分に考えられています。彼が殺された後、長男であったツタンカーメンが即位しました。ツタンカーメンの本当の名前というのは、「トゥー・アンク・アトン」、これが最初の名前で、その後に「トゥー・アンク・アメン」となりました。これはアメン神へ信仰を変えた意味で【ツタンカーメン】になったそうです。ツタンカーメンは首都を戻して、宗教を戻して、アメン・ラーという従来の神を信仰するようになりました。
イクナートンとても正直なファラオでした。アマルナでの統治は40年続きましたが、その後殺害されてしまいます。そして息子であるツタンカーメンは、ルクソールへと戻りました。
イクナートンの妻である、ネフェルティティもとても強く、パワフルな人でした。この宗教改革をネフェルティティはサポートしたといわれています。
アマルナにあるお墓は、イクナートンが自分のために掘っておいたお墓です。しかし殺されてしまったので、このお墓には入らなかったのではないかと考えられています。奥さんのネフェルティティと共に殺されているという説にもとづいて考えると、おそらくアトン・ラーを信仰していた神官たちによって、どこかで一緒に埋葬されているのではないかといわれています。今もそのお墓は見つかっておらず、探索が続けられています。イクナートンがつくったお墓には、王冠だけが形式的に置かれていたといわれています。
洞窟は岩山を掘ってつくられたものです。アテンという高い位の神官のお墓があります。ヌビアに攻め込んだエジプトの軍隊が描かれている。ヌビアの人たちが貢物をもって許しを乞うている姿がえがかれています。アトン・ラーに守られている状態を表している絵があります。
アトン・ラーに日常的に捧げものをしている様子が表されています。イクナートン時代の軍隊の様子も表されています。アフリカのソマリア、ヌビアに船を送って、食物、木や植物などを持ち帰っている姿も現されています。
アマルナのお墓と王家の谷の墓とは大きい違いがあります。ここでのお墓は日常生活で何をしていたか、イクナートンは日常の世界を大事にして、それを描いています。通常の王家の谷のお墓では、ファラオの威光や死後の世界のみ壁画に残っています。料理や農耕・農業、船に乗っている姿など表されているのが、この壁画の特徴です。当時の生活を知るために、この壁画はとても役にたっています。
保存状態のよいお墓もあります。神官の像もあります。ここだけが完成されていました。この場所までは水はこなかったそうです。ミイラなども盗掘されていたようです。
シャフトが掘っている下が王の埋蔵された部屋です。
※この洞窟壁画のお部屋も撮影禁止になっています。
※考古学局のかたが来られているときなどは、瞑想も禁止です。
イクナートンから息子のツタンカーメンに権限が移行する前に、娘に一度王位を譲ったのでは、という説も出てきている。TV不思議発見などでも、ツタンカーメンの装飾品に王の名前(カルトゥーシュ)が改ざんされているような発見と考察が放送されている。
エジプト基礎知識
イスラム教について エジプトガイドより
イスラム教徒にとって、5つの戒律があります。そのうちの一つが5回祈りをささげるということです。
イスラムの考え、規律で一番最初に基盤になるものが、「神はひとつであり、神はアラーというひとりの神であり、そしてそれを伝えた預言者がムハンマドである」ということです。
二番目にくるのが、一日に5回の祈りを捧げるということです。
三番目がチャリティです。お金を持っている人が貧しい人にお金を分けるという考えかた。そのコミュニティの中で、すべての人が恩恵を受けて、全ての人が幸せになるという考えかた。
四番目がラマダンと言われる断食の月のことです。一年の中で30日間、日の出から日没までは食べてはいけない月をもうけています。 これは貧しい人、食べ物がない人が、どんな気持ちでいるのか経験するためのものです。自分も空腹を感じて、こういう思いをしている人がいるんだと思い出させるものです。特にラマダンの後は、フツウの人もお金を持っている人も、貧しい人にお金を分けることになります。
五番目の基本となる考えは、メッカへの巡礼です。メッカとは神が住む家、最も聖なる場所とされていて、人生で一度は訪れる場所になっています。
イスラムというのも平和を意味します。誰とでも平和になるということを意味します。イスラムの挨拶というのは、「あなたに平和がきますように!」または「わたしたちが平和の中で生きていけますように!」という挨拶です。
もうひとつイスラムのなかでの大切な考え方は、みんなに微笑みかけること、微笑みかけて人を幸せにすることが、神に気に入られる方法のひとつだと言われいます。
本来のイスラムの考え方であれば、女性は男性と同じくらい教育を受けられることになっています。一番重要なのは、イスラムというのは平和を求めているものです。ですから行儀が悪かったり、礼儀正しくなかったり、乱暴な態度をとるということは、人を不幸せにすることであり、それは神が気に入らないことであるそうです。
イスラムの中では動物を殺すということも、人を殺すのと同じくらい悪いことだとされています。木を切らない、動物を切らない、人を切らないというのも原則としてあります。そういった行為は神から嫌われるとされています。コーランでは人を殺すということは、 全ての人を殺すことだとされています。
イスラム教と呼ばれるているものは、いろいろありますけれども、本来イスラム教というのは、平和を愛する宗教である。女性についてもいろいろなことが言われています。女性についても愛についても、平和についても、本来のイスラムの考えはこういったものです。
イスラム教になるには、すべての預言者を受け入れる必要があります。モーセやイエスキリスト、そしてイエスキリストの父親、ヨセフも預言者として認める必要があります。これがイスラム教にとっての最小の知識になります。
イスラムというとテロのことなどイメージされる方もいらっしゃると思いますが、それはイスラムの教えに従うというよりは、権力を求めている人たちの行動です。それは十字軍のころからはじまっていて、15世紀に聖地を奪還するために、神は奪還を求めているというアイデアが生まれたんですけれど、でも実際のところは、イスラムの教えは、力を求めるものではなく、平和を求めるものです。
エジプトの物価
街で売っているフルーツや搾りたてのジュースなどは、とても安いです。名物のエジプトソウルフードのコシャリなど、オシャレなキレイなお店でも20-30エジプトポンドで食べられます。お水やアイスクリーム、スナック菓子などは、あちこちに小さな露店があります。
エジプトのお金
エジプトではエジプトポンドが流通しています。またエジプトではアメリカドルがわりと使用でき、通貨価値としても強いので利用しやすいです。一般のエジプト人はエジプトポンドをドルに交換できないそうなので、アメリカドルを欲しがる傾向にあるようです。
またエジプトポンドは、正直なお話し、汚れていてあまりキレイでないものが多いです。あまり携帯し持ち歩きたくないくらいです。100円ショップなどで専用のお財布を買われたほうが良いかもしれません。除菌スプレーやジェルも持ってきておいた方がよいでしょう。衛生的にもオススメできません。
空港や一部のホテルで、円からもエジプトポンドへ両替できますが、ドルからのほうが両替できるところが多いです。
エジプト人の感覚では、日本円の千円が1万円、レートによってはその2倍くらいの価値を持っています。特にエジプトについてすぐは、貨幣価値の違いの感覚がないので、お土産物屋さんでボッタクリにあうことが多いです。
値切り交渉も五分の一くらいの価格からでも、大丈夫なこともあります。 慎重に価格を見定めてください。
エジプト人は優しいですが、ビジネスとお金には、わたしの経験上ですがシビアなのでご注意ください。
エジプトのトイレ事情
エジプトのトイレ、特に遺跡があるようなところでは、キレイではありません。水道の水も出ないことが多いです。またトイレの前にトイレットペーパーをくださる方(チップが必要です)がいますが、足りないと思います。トイレットペーパーやウエットティッシュ、除菌スプレーなど携帯されたほうが良いでしょう。
エジプトの気候と気温
エジプトは国土の大半が砂漠で、降雨量が少ないのが特徴です。アスワン、ルクソールと南ほど熱く、カイロは二つに比べると気温は低いです。夏は気温が30度以上になる日が続きます。ルクソールの王家の谷などはかなり熱く、5月6月でも40度越え、暑い時には50度を超えると聞いたことがあります。その時期ですと昼間は活動が難しいようで、朝早くから観光したほうがイイでしょう。
夜はかなり冷え込みますので、思った以上の厚着が必要です。エジプト人は寒がりなのか?暑い昼間でも革ジャンを着て歩いています。
冬も温暖なようですが、朝晩はかなり冷え込むこともあり、夏でも1日の寒暖差が大きいでしょう。10~11月は気候も安定していて比較的過ごしやすい時期といわれ、旅行のベストシーズンです。2‐3月も過ごしやすいと思います。